名古屋市南区の笠寺台地周辺にある史跡

移住先として最も注目を集めている名古屋市南区

古代のロマンに溢れる笠寺台地周辺

笠寺台地周辺の魅力的なスポット

名古屋市南区には古代のロマンに溢れる史跡があります。特に東部区域に広がる笠寺台地周辺は縄文時代からの歴史を刻んだ史跡が数多く遺されており、旧石器時代の石器を見ることもできます。おすすめは「見晴台考古資料館」です。また、平安時代から室町時代には「笠寺観音」を中心に街が賑わっていました。以下にそれぞれの史跡について詳しく紹介します。

見晴台考古資料館

見晴台考古資料館は見晴町にある笠寺公園内に設置されています。1941年に全国で2例目の銅鐸が出土し、近年は弥生時代に作られた墓と思われる跡地が見つかるなど、謎の多い場所でもあります。戦後の調査では環濠集落が発掘され、その上に建つ形で見晴台考古資料館が建設されました。展示室には土器が展示されており、併設の施設には竪穴式住居の実物大レプリカが建てられています。ヤマモモ、スジダイ、トチ、サワグルミなどが植栽されており、当時の雰囲気を感じられます。
この遺跡で見つかった最古の遺物が角錐状石器です。2万年前のものと推測され、非常に貴重な遺物として保管されています。また、縄文時代晩期の貯蔵穴も発見されています。弥生時代の竪穴式住居跡は多数発見されており、そこに村が形成されていたことが判明しています。北西側部分には濠が複数あり、合戦時に使用されていたことが推測されます。また、太平洋戦争時に築かれた笠寺高射砲陣地の砲台台座も残されており、これまでの歴史の流れを感じられる場所となっています。

笠寺観音

笠寺観音は別名「笠覆寺」と呼ばれています。徳川家康が名古屋城を築城する際に鬼門の方角にある4つ寺院を鎮護としており、その1つに含まれます。尾張四観音の1つとして、古くから地域の人々に愛されている寺院です。その名の通り「笠で覆う寺」という意味があり、その昔ある女性が雨に濡れている観音様に自分の笠を被せたところ、たまたまその姿を見た藤原兼平公がその女性を気に入り京に召され、玉照姫として多くの人に親しまれました。後に夫婦は出会いのきっかけとなった観音様に感謝し、お堂を建てたことで、笠覆寺と呼ばれるようになったのです。今も藤原兼平公と玉照姫の位牌は寺院内に安置されています。
こういった経緯があることから、笠寺観音は縁結びのご利益がある寺院として1,000年以上愛されてきました。良縁を祈願する多くの人が毎年訪れています。厄除けや四季の行事なども開催されており、毎月行われる「六の市」では多くの露店が立ち並びます。

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